先日、ゆっくりと楽器店に寄って、譜面類を眺めた。
これまでパラパラめくりながら、購入しないと思っていた曲集の中の1冊を購入。
これまで自分の中ではあまり触れてこなかった曲集。
早速レッスン室で、譜面を元に伴奏とメロディを弾いていく。
あっという間に、時間が過ぎてゆく。
へぇ、こんな伴奏かぁ。 独特だなぁ。どんな感じで全体が響くのだろう……。
随分、特殊なリズムで歌うんだなぁ……。
こりゃ、伴奏は自分には弾けないぞ。
そんな思いを持ちながら、あっという間に練習をやめる時間帯になってしまった。
レッスンがない日は、自分で管理できるだけに、こうした音楽三昧は大事だ。
伴奏と歌の絶妙なマッチングが、とても新鮮で心地よかった。
が、自分で演奏するには相当の時間がかかるだろう。
これまでにないパターンが多い。印象派という感じ。
そして、今日も確認できた。
身体をいかにしてスムーズに反応させられるかのパターンを。
その後の話し声までぐっと違ってくる。 楽に、バリンと響く。 心地よいねぇ。
これまでの積み上げがあるからだろうか。
5年前、10年前では、わからなかったのだろうか。
そんな思いを持つほど、気付いてしまえば何ということはない。
問題はそこに「気づくかどうか」。
例えれば、マラソンより長い距離を歩いてきたが、最初の一歩の方向が1ミリだけ
左右のどちらかにずれていた感じ。
あるいは、歩幅が、最適より1センチだけ短かった。そんな感じだ。
角度の1ミリ、歩幅の1センチ、ほとんど重要でないと思えるだろうが、
これを毎日積み上げていくことで、一か月、1年、10年という間にどれほどのズレに
なるかと思うと、ぞっとするほどだ。
そして、身長が今日から明日にかけて10センチも伸びることはないのと同じで、
長い年月を経て、ようやく自分で確認できる、そんな思いを持っている。
こんなにしんどい思いをしてまで、人は、いや、自分は、歌の世界で1ミリずつ
前進を願っている。
今後、あとどれほどのポイントを気付くことが出来るか。
歌全体を、もっともっと大きな視野で、ゆったりと大きく構えていこう。
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これまで以上の何かに気づくことは、大事。
次に、その気付きを自分の発声などに、的確に生かせるかどうかが勝負。
次に、ある程度身体でわかったら、その感覚をその後も忘れないように
日々、繰り返していくこと。
どんなに踏ん張っても、いずれ年齢と共に身体の反応が鈍ってくるもの。
それを痛感した時は、焦らず、これまでの大事なことをやはり繰り返し、
何が鈍ったかを判断できた場合、そこに、これまで以上に、
ちょっとだけ多くのエネルギーと時間をかけていくだけ。