Category: 発声


連休 ~ 練習三昧


今、世の中は旅行やその他で、何かと遠出したり忙しい日々だろう。

そして、自分はというと、今日などひたすらレッスン室にこもり、レッスン生が
少しでも心地よくいてほしいと譜面を整理したり、そして珍しくパソコンを極力控え
自分の身体へのエネルギ―を与えるために、練習三昧だった。
(音楽以外の時間は、全く惜しくない。)

へとへと、そして、街へ運動を兼ねて「かなり早歩き」をし、また練習へ。
2カ月かかって届いた外版の譜面を用い、早速歌へ。

「継続は力なり」
メリカント、そして、久しぶりにシベリウス(スウエーデン語)の曲も
さらったが、原語に対する感覚は、このところかなり「良い」と言えるようになった。

夜、気づいた時、やはり、だった。
つぼ押しなど、外からのストレッチなど全くなしの日だったが、
首のまわりが最高に柔らかい。
勿論、声の反応もかなり良い。
(的を得た練習を続けると、肩こりは無縁になるものだ。)

パソコンさえ今後も控えて練習に向かえば、もっともっと健康体になる。(笑)

今日は、珍しく早めに寝よう。
明日への活力を養うために。

練習と肩こりの関係は


大抵は、「肩こりは歌の大敵」だから、肩等のコリをほぐしてから曲へ。
こういうとらえ方が多いかもしれません。

私もそれは意識しています。
そして、この何年間か試行錯誤して感じることは、
ほぐしてから歌う、よりは、「歌うことで肩や首のまわりをほぐす」ように、です。

似ているようで、大きく異なります。
歌うための筋肉の使い方で、歌うほどにどんどん身体は良い状態になります。
勿論、歌ったための疲労感はありますし、さらには、肩こりがあっても歌える、
という状態へ向ける日々です。

「肩こり、首こり」等が歌に大きな影響を及ぼすことに無頓着だった自分。
その後、ここをほぐさねば、と踏ん張った自分。

そして今では、「肩こりよ、いつでも来いよ」
でも、「肩こりがあっても、歌えるから」と。

それよりも怖いことは、声の出し方がまずいと、間違いなく数年んでだめになること。
そして、それは、「結果的に、あとになってしか自分で分からぬ」ということが怖い。
自分を含めて、みな「これでよい」と思って歌っているわけだから。

ただし、誰しも分かる程度はあります。

歌うとすぐのどが痛む、声がかれる。
歌うほどに、「歌うことそのものが辛い」
歌っても、「心地よさを感じたことはない」

これらが出た時は、すぐにその自主練習を「中止すべき」だということです。


音程を取ることで苦しんでいる人へ。
一曲で、異なる音が30個あるとしたら、100段の階段を思い浮かべよう。
縦に並んだ「音の階段」
最初は、8段目、次は、11,25,24,38,50,40、などと。
音程が最高に達する場面が50段だとすると、それは49段でも、51段でもだめ、勿論、49.5段でもだめ。
50段は50段目で歌う意識を持つこと。
その階段が、歌い進むにつれて、適切にその階段のところに
上下出来るかどうか。
しかもその上下の仕方も問題があるし、どのタイミングでそこへ達するかも微妙。
さらに、機械的に上下するほど、聞きにくいものはない。
そこに、人それぞれの解釈や感性が加わり、絶妙な演奏に変化していく。

ひとりの人間でも、一日、一日と身も心も変化している。
「一年前には最高音に届かなかった、とか、テクニック的にほとんどおてあげ」
という曲であっても、今やってみたら「できる」ということもしばしば。

めげることなく、一週間後、一ヶ月後、半年後、一年後に再度挑戦し続ける事。

こうした内容をコンパクトにまとめたのが、次だ。

「明日へのアドバイス」
内容は数行のみの毎回簡潔だが、一つひとつの奥は深い。
これとて、あなたが聴く時期によって、感じ方が大きく変わる。

こんなもの、必要でない人は、今以上にガンガン進もう。
ちょっと寄ってみようか、と思う人は中をのぞいてみよう。

しかし、いつも言っていることを最後に表記します。

「音声やこうした内容や周りへ頼りすぎないで、自らの意思と
エネルギーで突き進むこと」


歌まるCDの中の「リズム唱」とは、曲のリズムに合わせて、原語を読んで
いきますが、その音程がほとんど一定であるため、「お経みたいだ」と
笑った人がいますが、まだまだですね。

ロッシーニの歌曲 Addio alla vita(さようなら 人生よ) をご存知ですか。
一曲まるごと、最後まで同じ音のみで演奏される曲です。
長い曲ですが、歌の方ではリズムや音の長さに、伴奏では様々なリズムに変化を
持たせて、全体的に格調高い曲になっています。

まさに一つの音程だけでの演奏で、「リズム唱」にそっくり状態。
これを歌う演奏が、お経的に聴こえる人がいるとしたら、それは
歌い手が同じ音のつながりを「歌」としてとらえられないか、あるいは、
歌としての感覚を持ち合わせていないか、レベル的にこの曲に適する状態に
ないか、でしょう。

過去の発声の本。
「歌は、話し声の延長」
「ちょっと遠くの人に、話を聞いてもらう」
「そのまま、かなり遠くの人に自分の話を聞いてもらう」

この延長が、いつの間にか「演奏」につながる。
この時こそ、「自然体の演奏」に近づける、と信じています。

「リズム唱」は、原語がスラスラ読めてこそできる。
リズムと原語の合わせ方ができてこそ、生きる練習。

この練習だけで発声練習が可能です。
リズム唱を続けていくと声が枯れたりするのは、出し方に問題あり、です。

これがスムーズにできると何が良いか。
メロディに原語を乗せる際に、発音やリズムへの心配がなくなり、
表現や発声的な部分へ集中できる。(応用が利く)

「歌まるCD簡易版」には、
原語の読みとリズム唱だけ合わせても、一曲分でたった3分ほど、という曲があります。
それで、2000円以上。
その活用法によって、高くも激安にもなる。(使用する人次第)

まずい練習法は、自分の中で何も考ることなく、最初から、
全てを音声に委ね、「まねるだけ」
これでは、いつまでも成長しませんし、自分で音楽を深めることはできません。

こうした音源など不要で、個人レッスンだけで十分に仕上げまで行える人も
これを読んでくれている中にはたくさんいらっしゃることでしょう。
レッスンの録音だけで十分にこなしている人であっても、今後、その音声を
もっともっと有意義に活用したら、さらに大きな前進につながることでしょう。
「慣れ合い」になることなく、注意深く耳を傾け、いや、その前に、
レッスン時に、その瞬間瞬間に、何を求められどうしたらよいかを
反応良く行うことこそ、最高の練習です。

あなたの「さらなる可能性」に期待しています。


先日、数日間、実家へ帰省した。
行き帰り、どちらも指定席がとれず、
帰りなど、随分久しぶりに通路に「立ったまま」東京まで我慢した。

さて、向こうで貴重なのは、歌の練習場所。
実家のすぐ近くに一つだけあるカラオケボックス。
数年前に利用しただけで、二度目。久しぶりに声を出してみた。

勿論、通常のカラオケものはいっさい触らず、持って行った機器でちょいと音を確認
しつつ、発声後、曲の母音唱などした。1時間の中で、歌ったのは20分ほどか。
絶妙に響く部屋の中で、「あれ、二日間声を出していなかったわりに、ましじゃないか」
と思えるほど、響いてくれた。

その後、こちらに戻り、すぐレッスン室へ。
チェックの声出し。
「やっぱり、違う。ずれていた」

田舎では、もう田んぼの中で歌うことも許されず、カラオケボックスを利用するしかないが、
特に気をつけて行わないと、「ずれる」ので、
カラオケボックスの利用頻度が高い皆さんは要注意です。

イタリアでは、ホテルもmaestra のご自宅も、かなり天井が高く、
建物の建築素材も異なるのか、実に、「気持ちよく響いて」くれる。
ありのままの声を体感でき、自分の声を振り返りながら歌える環境だ。
それと、日本のカラオケボックスを混同してはまずい。

日本のカラオケボックス利用者へのアドバイス。

怒鳴ることなかれ。
声を押すことなかれ。
長時間、歌うことなかれ。
部屋の響きに惑わされることなかれ。

ひたすら、自分の声に注意深く耳を傾け、
己の目指さんとする極地へ登るべく、石橋を叩いて渡るべし。